
日本ならではのプロジェクト
わずか55分。東京(羽田空港)〜能登(のと里山空港)は一瞬だった。にもかかわらず2025年4月の視察当日は気温は10度以上低い。近くて遠い場所。それは復興を伝えるニュースと、そこからは窺い知れない現実の距離感にも似ていた。
現地に集合したのはミュージシャン・佐藤タイジ、ギタービルダー・高山賢、このサイトの運営者にして木材を扱う古谷隆明。目の前で切った木からギターを作る、というおそらくは世界初のプロジェクトにふさわしいメンバーだ。
初日はボランティアの方にサポートされつつ被災地を巡り、いきなり想像のはるか上をいく光景に直面する。未だに土砂で埋まったままの漁港。1000年以上の歴史の果てに更地になった輪島の朝市。隆起した海底の上に付け直された沿岸の道路、震災直後のままの倒壊したお寺‥。おりから「能登の冬が戻ってきたようだ」と言われる悪天候だったせいもあり、よけい非常事態感が強い。記念撮影を求める現地の方に気軽に応えるタイジさんの笑顔だけが、唯一の救いだった。

視察翌日はうって変わって晴れ。東京では散っていた桜が瑞々しい緑の中で満開だ。ああ、本来は美しい土地なんだ、と分かる。その風景を随所で切り裂く山崩れの光景を横目に、能登森林組合に向かう。ここで当地の林業の現況をお聞きしたのち、取材はスタートした。

僕らは理由を持ってる
ーー改めて、THE SOLAR BUDOKANが立ち上がった経緯から教えてもらえますか?
佐藤 2010年にTheatre Brookでアルバム・ツアーをやってたとき「武道館やりたいねー」って話が出たんですよ。2011年3月にはCHABOさんの還暦ライヴがあって(奥田)民生、Charさん、TRICERATOPS‥いろんな人と電話番号交換した。その6日後に東日本大震災があって翌年12月、CHABOさんのライヴで知り合った人たちを中心に太陽光エネルギーを使った武道館公演にこぎつけたんです。
ーーその後は同じ方式の野外フェスという形で継続していきますよね。
佐藤 トータルで12年間ね。
ーーしかも岐阜県中津川という場所にもかかわらずどんどん動員を伸ばし、後半は3万人超えでした。
佐藤 そこで再生エネルギーのことを言い続けられたのは大きかったですね。でもこれだけやって国の再生エネルギーの割合は2割止まり。そしたら「じゃ、アフリカでやってみない?」って奴が現れたんです。彼と一緒に現地に行ってみて、でっかい原発や火力は作れないけど太陽光は渇望されていることが分かった。世界中がそっちへ向かってグイグイ前進すれば日本もいずれそうなるだろう、と思った。日本を変えるために世界を前進させよう、って。僕らはそれをやりきる理由を持ってると思うんですよね。
ーー理由?
佐藤 広島と長崎に原爆を落とされて、3.11でメルトダウンして。そこから遠ざからなくてはダメなんだ、って日本人は思っていいんです。そうするために世界の再エネをプッシュする。

ーーというストーリーの中で、異業種の2人と会われたわけですね。まず金沢で木材業を営む古谷さん。
古谷 石川県は流通中心の木材屋が多いんです。だから価格勝負になって安いものに手を出す人が増える。そうすると石川県自体は林業が盛んな県じゃないので、他の県の木に負けちゃう。結果、地元の製材所で働く人や木を切る人が去っていった。これって僕ら木材屋の責任なんじゃないか? って思ったんです。ウチの会社「フルタニランバー」も他県の木はもちろん輸入材も扱ってきた。そこを根本的に解決するには地元の木を、今までよりいい形で売ることだと考えました。
ーーいい形、というのはより高単価で、ということですか?
古谷 はい。木材の花形は住宅だった。でも1997年には160万戸建ったのが今は70万戸台。だから新しい使い道の開拓が必要なんです。その中の一つに僕は材の単価が高い楽器を選んだ。そこは自分が音楽が好きっていうのも大きなモチベーションになってるんですけどね。
ーー古谷さんは実はほとんどのギターが輸入材で作られてきた事を意識したのはいつごろですか?
古谷 5〜6年前ですかね。地元のギター職人さんとの出会いがきっかけで。考えてみるとギターだけじゃなく色んな楽器で輸入材が使われてるんですが。
佐藤 そっすよねー。
古谷 で、ATENOTEという名前で石川県の県木・能登ヒバで楽器を作り始め今30種類ぐらいになっています。
ーー最近はカワイ楽器とのコラボでグランド・ピアノも作りましたよね。
古谷 はい。石川県庁に寄贈させていただきました。

ーーそして高山さん。
高山 僕はミュージシャンを目指してました。同時にプラモデル感覚で楽器をいじり始めたらおもしろくなって、曲よりギターの方が売れるぞ、と気づいたんです。
佐藤 わかりやすい(笑)。
高山 で、音楽の原点は楽器だしこれをもっと突き詰めてみよう、ここで自分の表現をしよう、って思った。ちなみに自分が大好きな音楽っていい音に聴こえません?
佐藤 いい音やねえ。
高山 だからジミヘン好き、ジミー・ペイジ好き、ってなったら、あの音のするギターが欲しい。マホガニーやアルダーやメイプルの。でも昔のような海外の木材は枯渇してもう手に入らない。僕らがいい音だと思ったあの楽器はもう作れない。じゃあ新しい素材で作ればいいや、ってなったんです。
ーー社名もサゴ・ニューマテリアルギターズですもんね。
高山 で、設立のころからケヤキとかアサダとか日本の木を使ってきたんです。洋材はなくなってきてるけど和材はいくらでもあるんで。
ーー古谷さんとの出会いは?
高山 2年前。僕は新しい素材に目がないんで「ふーん、能登ヒバかあ」って思った。しかも古谷さんの話を聞いていて「楽器は林業から始まってるんだ」って気づいた。それまでは音楽は楽器から始まってると思ってたのがね。その後、ATENOTEの話も聞いた。何かを発信するには声が大きい方がいいし、それには有名なミュージシャンが「いいじゃない!」って言ってくれた方がいい、っていうそのスタンスを。で、参加させてもらったらタイジさんに出会えたという。
佐藤 いやいやこちらこそ(笑)。

蓄積された知恵
ーータイジさん的には「国産材で自分のギターを作りませんか?」という提案がATENOTEから来たとき、どう思いました?
佐藤 最初は「えー、いけんのかあ?」でしたよね。僕は完全にギブソン派。マホガニーやメイプルしか知らなかったし。でも、今は楽しみでしょうがない。クラフトマンである高山くんが「ヒバのネック、最高なんすよ」って言ってたから。ギターはボディじゃなくネックで決まるんで。しかもナチュラルのヒバって美しい。これでフライングV作れたたらなあ、って。
高山 Vの場合、コリーナも多いんですけどね。それとは全然ちがう音になります。ただ、そこから生まれるかっこいい曲がいい音になる。新しい音で、新しい音楽で、新しい感動を、っていうのが僕のテーマなんですよ。ま、振り返ってみると、昔は日本も国産材のテレビCMとかあったんですけどねえ。
佐藤 あった、あった。
古谷 高度成長期あたりはまだ国産材の自給率がめちゃくちゃ高かったんで。そのとき木を切りまくったせいでハゲ山だらけになって、そこで植えたのが杉。その後、だんだん需要が減り60年前と比べると森林面積は2.5倍に増えている。
佐藤 あ、そうなん?
古谷 というと良いように聞こえるんですけど、森が切られず荒れているだけ。で、花粉が発生して、熊が出て、害獣扱いされて、殺されて。
佐藤 あれ、超かわいそう。
高山 熊には責任ないのにな。
古谷 さらに森が荒れて餌がないと熊はストレスで木に傷をつけるんですよ。熊剥ぎって言って。そういう木はまた価値がなくなっちゃって‥。
高山 そういうのも含め、山を守る人たちにスポットが当たるように僕らが少しでも力になれれば。
佐藤 これ、人と人との距離が近い日本ならではの話なんちゃう? もっと巨大な国だったら、ミュージシャンと林業が繋がるなんてまずない。
古谷 THE SOLAR BUDOKANのタイジさんだったから、の部分もありますが。
高山 この話、決まってから早かったもんな。1ヶ月半ぐらい前に初めてミーティングして、そのときノリで「それやったら山、入っちゃいます?」って言って、気がついたらココ(能登)にいる(笑)。

ーーココ=現地の印象につても教えてもらえます?
佐藤 震災から1年4ヶ月たって、まだ崩れたままのお寺とか、土地が5メートル隆起したとか、どんだけ日本って国が動いてるのか、生きてるのか、感じましたね。ただそれをネガティブだけでとらえるんじゃない心の余裕もあった。今回のように新しい形で異業種の人が向かい合えたりもしたわけやから。
ーー色んな場所から駆けつけたボランティアの方々の力もあるし。
佐藤 そう。みんなが片付けをしれくれたからこそ新しい道が出来て、ここに来れて、山へ入れて。こんな風にはならない地域が世界中には沢山あるのにね。それが出来る日本っていうのはまだまだぜんぜんポテンシャルがある。我々にはメルトダウンもふくめ、すごく早いタイミングで課せられた課題っていうのがあると思う。災害の多い日本は、それに対応してきた日本人のDNAっていうのが必ずある。間違いなく世界に貢献できるだけの知恵が日本人には詰まっている。そんな我々が貢献して前進していくことで、低迷している日本をも救い上げることができると思うわけですよ(ジャーン、と抱えていたギターを鳴らす)。
一同 (笑)

古谷 起こったことは起こったこと。とにかく前を向かないといけない。こういうことが起こったことで県外の方もなんとかしようってなってくれたし。これが10年前だったらATENOTEもふくめこういう風には進んでいかなかった気がする。いろんなタイミングが重なって、こうやって繋がることもできたんだと思います。
高山 僕は19歳のとき、阪神淡路大震災を震源地で経験したんですよね。今回、災害現場を見てあの時のことを思い出したし、どえらい悲しみがここでも起こったんだろうな、って思った。でも、生き残ったからには生きてるってことの大切さを感じて、この地でまた元気にやるっていうのが何より大切だと思う。一方、僕らは何かに呼ばれてこのタイミングでここへ来た。「あ、来るべくして来たんだ」って腑に落ちたしね。そう思うとちゃんと使命をもって楽器を作ろうって思います。
佐藤 いっすねー!(ジャーン)。明るいコードで(笑)。
インタビュー後、車に分乗して伐採現場に向かった。森の開けた場所に駐車し、みんなして林道を歩く。タイジさんはギター持参だ。やがて木こりのみなさんが待機する所へ来た。みなさん、思ったより若く明るい雰囲気。すぐにタイジさんや高山さんと話がはずむ。タイジさんは自分のギターになる予定の、あたりではひときわ貫禄のある樹齢130年のヒバに向かってギターを奏で始めた。

一方、林業組合長の方が「彼が一番腕は確かで」と紹介した人はまだ30前後、原色のウェアに身を包んだその姿に一同「人気出そう!」。が、いざ切る段階になると優しげな雰囲気が一転。アスリートのような柔軟性で様々な角度から倒す方向を確認し、チェーンソーで少しづつ削り、クサビを打ち込み、最後は見事木と木の間に切り倒してみせた。儀式のような時間が終わった直後、3人は口々に言った。
佐藤 いやー、素晴らしい体験でしたよー! なかなかギター弾いてる人間でもこれは味わえない。しかも1800年代末、明治維新の時代の木でしょ? また良い匂いで。このギターを弾くのが楽しみ。これで林業をやる人が増えるといいですよね。「あ、おもしろそう」「あ、そういうことかあ」って。
高山 これまでも丸太1本買って製材してもらって、っていうのはやったことあるんですよ。それもすごい迫力だったけど、原木が目の前で倒れるとこなんて見たことなかった。いやー、どの世界もプロの仕事ってすごいなあと思いました。これはいい仕事ですよ。1本づつああやって丁寧に切って倒して。これは大事に使わせていただこうと思います。「この木目がどうの」とか言ってたらあかん(笑)。でも今回の木は目が詰まってすごくいい木です。
古谷 実は僕もATENOTEを始めてからこういう林業の現場にいくようになったんですけどね。どんな切り方をしてどんな苦労をして、っていうのを知るのって大事だなあと思います。しかも今回はミュージシャンの想いを林業の人たちと共有できた。この木がギターになるんだ、って知ることができた。そういう循環がATENOTEの真髄の部分だと思ってます。
(インタビュー/構成 今津 甲)


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